貴重な経験 慰問演奏で学んだこと

特別養護老人ホームに行く前にしっかりとこの行事の意味を考える時間を持つことにしている。

普段の依頼演奏とは一線を画するもので、どういうところなのか、何を目的でどんなことを想い参加するべきか…

生徒たちは真剣なまなざしで私の話に耳を傾けてくれる。

私は北海道の田舎町でおじいちゃんやおばあちゃんと幸いにも同居した経験がり、幼少の頃、おじいちゃんおばあちゃんが大好きだった。母親にしかられるとすぐに2階に上がりおじいちゃんと過ごし癒やされたものだ。

勿論他界しているが。

今の世の中、核家族がほとんどで、なかなかおじいちゃんおばあちゃんと肌のぬくもりを感じる機会が無く膝の上に座ったこともない子供たちも多いのではないだろうか。

顔を合わすのはお盆とお正月くらいだと思われる。


教育という仕事は本当に素晴らしいものだ。入園卒園、小学校、中学校、そして高校大学と入学卒業がある。どれをとっても家族にとってかけがえのない瞬間だろう。どんなに小生意気になってもどんなに言うことを聞かなくなって手を焼く年代になっても子供の成長とは全てが親の感動となろう。全てが旅たちの時であって成長を意味するわけだ。


訪問させて頂いた施設には卒業、言わば成長して旅たつと言うことはないわけで、ここでの生活が今後も続くと考えられる。


生徒たちには自分のおじいちゃんおばあちゃんだと思って、瞬間瞬間を大切にした時間となるようにお話しさせて頂いた。

『ふるさと』『もみじ』を音楽室で練習する際も仲間を椅子に座らせ、おじいちゃんおばあちゃんと想定し膝や肩をなでながら歌ったりもした。この練習中にも涙ぐむ生徒たちも多く見られる。


何もイメージせずにホームに入ってただ演奏するだけでは心が動くはずがないし、戸惑うことばかりだろう。


初めての経験であった一年生に聞くと『最初はどう関わったらいいのかやはり戸惑ったけれど、すぐに顔を見て心が動き、とても感動しました。』と言う言葉が並んだ。


この行事がきっかけでOBOG等に福祉の道へ進んだ生徒も少なくない。また大学入試で面接などがある場合貴重な経験値となる。ボランティアというのは行動にしなければ意味が無い。行動にして初めて力となる。


生徒にはこう伝えた。『皆さんは若いと言うことだけでも素晴らしいし、輝いている。苦しむことも悲しむことも全て受け止めながらも今を輝き、今を感謝して毎日を過ごして欲しい。でも老いるという現実は誰でも必ず来る。老いて醜くなることもこれは仕方が無い。でも心の瞳でみつめれば、どんなことがあっても、どんな風になっても人を愛すること、それがわかるようになってもらいたい。』と。

保護者の皆様におかれましても素敵な時間だったと推察致します。


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