仲間を信じ、次に向かって再び

どんなところにいてもチームってやつは素晴らしいものだ。とりわけ野球部の団結力は群を抜いている。恐らく全国的に見ても高いレベルのチームであろう。野球に対する情熱と普段の自らに対する追い込みが自信を高めつつチーム力を上げているのだろう。こういった部活動が本校にあると言うだけで心から感謝すべきであろう。普通の学校にはなかなかないものを見せてもらっていると思える。だから野球部員たちの置かれている責任も大きいはずだ。さらにはそれを粋に感じてさらなる成長をして欲しいと願う。


チーム力も大切であるが個々のモチベーションがその基本になるのは言うまでもない。

クラスメイトもただ単にうるさい野球部員としてではなく自分をあれほどまでに追い込めるその成長ぶりを見習うべきであろう。野球をしてなければ単なる体のでかい連中に成り下がってしまうかも知れない。


体育祭の時のブログにも記載したと思う。20数年間この志学館の雰囲気を作ってきたのは紛れもない野球部である。今や志学館の売り文句『規律ある進学校』の土台は野球部が作ったのだ。


よくほとんどの先生方は何組の誰々という言い方をするよりは、何部の誰々という認識を持つ。

昔は各部活動が競い合っていたように思える。勿論野球部のモチベーションになど追いつける部活動はあるはずがないし、遠い後ろから見ているくらいの存在である。でも各部活動が必死であった。指導者も同じこと。挨拶や礼儀、裏表のない生徒作りをあの手この手で工夫をしてきた。


ここのところ教員たちも歳をとってきてその勢いがまるでない。『志学館だから』『7時間授業だから』といって半ば諦めているようにも感じることがある。

私はどうなのであろうか?歳を重ねたのは仕方がないが…


当部活動の部員たちは吹奏楽部の誰々という言い方をされて、その誇りを持っているのだろうか?他の部活動よりもたくましく優れた活動をしていこうという発想があるのだろうか?現状で満足しているのだろうか?これで限界なのであろうか?

チーム力もそうだが上記にあるように個々の高いモチベーションこそが部活動の基盤になる。『運動ができないから吹奏楽部』『何となく居場所を求めて吹奏楽部』『雰囲気が良さそうだったから吹奏楽部』『誘われたから吹奏楽部』これでは強い雰囲気を作り上げるのは大変困難なことである。人がいいだけでは相手に合わせすぎ強いモードは生まれない。今年の学年に求めなければならないのは『誇りと強さ』だろう。寝食をともにし色々なことが見えた。もっともっと団結するにはやはり音楽で勝負できる実力を上げるしか他ない。もっともっと自らを追い込めるそんなチームであってもらいたい。

いよいよ次は定期演奏会とコンクール作品が加わってくる。同じ苦虫をかまぬよう本気で取り組んで欲しい。