久しぶりに懐かしさを感じた練習

今年はコンクール直前の練習内容が昨年とは異なる。明らかに違う。今突然違うというわけではなく一貫して何が大切かを提起してきたわけだがここに来て一層真剣みが増してきた。

 

指導者に成り立ての頃、コンクールもお盆明けで8月上旬には合宿を行っていた。

朝から晩まで練習に明け暮れ私も奏者としてのプライドも抜けきれず一緒に練習をし、午前4h午後4h夜3hくらいの練習をこなさせていた。

 

生徒も結構本気モードだったのでこっちも本気だった。

 

B部門ではあったが金賞の常連校となり関東大会でも金賞を受賞するに至った。

その後は様々な問題もあり合宿を取りやめ強化練習期間として変更して現在に至っている。

 

今年はとことんセクションにつきあっている。本当は当たり前のことなのだが基礎練習に徹底し作品に入るまで2時間くらい普通に入念な基礎練習を行う。焦りもあるがようやく作品練習に入る所など近年にはなかったことだ。

 

昨日は午後からの練習であったが13:00~17:00まで休憩せずに集中して基礎を行った。時間を忘れていた。

近年余り感じてなかった懐かしい感覚だ。

思いの外、金管の連中がへこたれない。食らいついてくるという感覚はまだ無いが、なんとか食らいつく姿勢はある。

指導者もトランス状態に陥るがふと練習終了後にはエンプティーになっている。

集中的に基礎を行った後は作品練習では整っていないフレーズがあると奏者も苦虫をかんだ顔になる。

それをまた繰り返し体に覚えるまでやるしかない。常にこう言う感覚で日常練習をストイックに取り組んでいる学校も多くあるだろう。

単に志学館ではそれを避けて作品練習に終始しコンクールに臨んでいたことになる。

指導者に成り立ての頃、一緒に音出しをし楽器を吹き続ける懐かしい雰囲気に似た感じが少しした。

それでもコンクールとやらは過酷なものではっきりと言い悪いを決めつけてくる。

もう少し頑張らせたいし、そして子供たちに頑張れば叶うと言うことを体感させたい。

いつも金賞に憧れているだけでは永遠にとれることはない。

何でもかんでも食らいつく姿勢でいけば価値があるというものだ。