どんな些細なことでも感謝、生きているだけで心から感謝しなければならないと言うことをしっかりと学んだ。
いつでもそうありたいが、残念ながら人間は欲深くなかなかそうはいかない。
『こうでなければならない』なんてことは実はそうあるわけではないはずだ。
でも目標や希望、色んな高見を望み、そして頑張ることを知る。
ゆえに『生きているだけで…』とはならず
『頑張らなくしてなにをしているのか』と叱咤されることが多い。
昨日の朝のTVで陸前高田市の海岸線に失われた松林を再びと言う事で50年以上先を見据えて小さな小さな松の苗木を植えるプロジェクトについて知った。
日々息づいていること、一歩一歩前を向いて歩んでいる姿に人間の逞しさと強さを知り感動した。
6年前の3.11 14:46
それぞれが明確にその時のことを思い出すことが出来るだろう。
小学校の卒業式直前、中学校の卒業式直前、それぞれの場面がある。
32期生、今年の3年生は小学校の6年生。
卒業式目前の学年だ。終わっていたところもあったかも知れない。
あれから6年、卒業式を目前としている。
本校も同じく第26回高等部卒業式練習終了直後のことであった。生徒達は退場し代表生徒練習が行われていた。
私も体育館のパイプ椅子に座り、全体を見回し天井で大きく揺れ落ちそうになっているバスケットゴールを見つめた。
落ちてきたら逃げようとしっかり上を向いていた。
部員たちは音楽室にいたのでグランドに避難指示を出した。
その後のことは詳細を語るまでもない。
卒業式見合わせ、長く自宅待機が命じられた。
吹奏楽部の定期演奏会二日後に中止の決断をした。26期生全員とその保護者宛てにメールで通達した。
苦渋の選択であったが当たり前のことであろう。
大人達も悩み苦しみ、こども達もなすがまま日々を送るしかなかった。
あれから6年が経った。
その体育館でこれから定期演奏会の練習を始めようとしている。
これがどれ位素晴らしいことなのか認識し、みなと生きている証を感じ幸せを噛みしめたい。
ここからの極めて忙しくプレッシャーのかかる数日。それらを満喫したい。
そして私たちの晴れ舞台を待ち望んでいるステージが待っている。
20日生徒は輝きを放ちスポットを浴びる。なんと素晴らしいことなのだ。
それ以上何を望むというのか。
練習を止め黙祷を捧げた。体育館の時計をご覧頂きたい。
被災された多くの方々に心からご冥福と、そして被災地の皆さんがますます復旧復興されることをお祈りして黙祷を捧げたいと存じます。
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