数日前のこと

パパママサンクスコンサートで1年生が中心で『ふるさと』を演奏する。

そして2、3年生が歌い保護者に披露する。

その練習をしようと放課後練習の時間に全員が集まりレッスンが設定された。

 

まず最初に2年生数名をご指名し1年生の見本になれるように演奏してもらった。

 

なんとも『いい音が出ない。』 

なんとも『いい音楽にならない。』 誰もが心が動かないと言うことだ。

 

上手い下手と言うことではなく演奏する事にびびり、緊張し、『叱られるのではないか?』

『どうしよう…』と言う気持ちに支配されているように感じた。

これでは全く聴く側は感動は勿論、心が動くことはない。

 

何度も何度も繰り返しても同じ結果になった。

少し残念に思った。

 

1年生もいたので余り厳しい雰囲気を避けた方が良かったのかも知れないが、いずれは通る道、当部活動の大切なことを感じても欲しくて『音楽をするということ』『人として大切なこと』を厳しいモードで上級生に伝えた。

これが志学館流のレッスンである。

悔しくて涙する2年生もいた。全体が叱られていると言うよりは今一度しっかりと何が大切なのか感じ取る時間になって欲しいと願った…

1時間全く音楽としての結果が出ることはなかった。

これは指導者としてはとても勇気のいるレッスンである。

 

授業でも同じではなかろうか?単にテスト範囲が終わらないから生徒の表情や内面に入り込むことなく淡々と授業を進め、テストで平均点が悪るかったり、赤点が続出するとアホな教員は『生徒がバカだから』と堂々と口にする。

いつも腹ただしく憤りを感じ学年の会議の席では思いの丈を多いに私は意見をすることがある。

 『出来るようにさせていないのはご自身でしょう…』

 『興味関心を持たせるような工夫と努力はし続けましたか?』

 『自己満足になってませんか?』

 『出来ない人間こそ出来るようになりたいと思っているに違いない。』

 『バカだからはないだろう!』

 『受け入れている以上その子達を何とかする、それがやり甲斐でしょうよ』

その教科の先生方からしてみるとやっかいな教員なのだろう…とは思いつつも。

 

生徒(人)を育てると言うことに観点を当てることが出来れば良いのにと思う。

興味関心を持たせ、目的意識、何をすることが大切なのかを授業の内容に組み込むことだ。

 

さて、話はそれたが、そのレッスンの後はどうだったろうか…

数名の3年生に全体の前で意見させてみた。

さすが3年生、期待通りの答えが返ってくる。

指導者の期待した答えを頭で考え解答するのではなく、自らの意見であることが大切だが、勿論しっかりと自らの考えを自らの言葉で答えていた。

 

ミーティング後は少し元気のない雰囲気があったがそこは仕方がない。

でもしっかりと挨拶を交わし下校していった。

 

伝えたいのは翌日のことである。

早朝、ふと気になり練習場へ足を運んだが、クラリネットの『ふるさと』の旋律が響いていた。

穏やかで丁寧な音で…

 

私は気づかれないように、そっと階段を下り離れたが、そこには3年生のサクソフォーンの上級生が一緒に練習を共にしていた。

とても素敵で心温まる瞬間であった。

 

クラリネットのパートリーダーにも負担をかけまいと、みんなで関わり、みんなで支え合う、そんな人として育ち、人として魅力的な上級生達に支えられて今がある。

その愛情を下級生は肌で感じ、自らも成長を望み、自分と再び更に向き合う。

そしてささやかながら自分の力で更に下級生と向き合うに違いない。

 

1F音楽室ではパパママサンクスコンサートで披露する合唱曲『信じる』の音とりを、やはり上級生が1年生に、本当に丁寧に柔和に指導していた。

上級生が1年生に『もっと心を開いて』『もっと上級生の表情をみて、歌詞を感じて歌いましょう』と呼びかけていました。

ここもまた、心温まる場所となっていました。

何を結果と言うのかは分かりませんが『人の成長こそ』が真の部活動のあり方で、きっとパパママサンクスコンサートでは心を打つ演奏が繰り広げられることと思います。

どうぞお誘い合わせの上お越し下さい。

 

吹奏楽部の取り組みはステージ上だけではありません。人知れず自らと向き合う活動が満載です。職員や保護者の皆さんには余り知られていない部分だと思います。

人知れず目立たず、地道な活動が今の吹奏楽部の根底にあると思います。

教科で言う、出来ない生徒も、赤点をとるような生徒もバカではなく、人として尊重され必要とされ、興味関心を植え付け、自らと向き合う力を支え合いながら養われる。自分の居場所、存在感を感じること。

そんな雰囲気が志学館吹奏楽部のワールドたるゆえんだと思います。