突然の嬉しいご来校

嬉しい嬉しい激励者、OGが来られた。お仕事の合間を縫ってわずかな時間ではあったが…

 

体育館練習

 

45人になった部員たちは懸命に取り組んでいた。13:00に体育館が割り当てられており、一斉にセッティングを始め、何と驚いたことにセッティング完了が13:17 ほぼ15分程度でセッティングを完了させた。これは驚きである。

運ぶ打楽器の数や雛壇の数も変わらなく多量である。例年も運ぶ役割分担を決めてはいるのだろうが役割が終わったら様子を伺いながら手伝うスタイルだ。

今年はみんな『走っている』ゼミ卓は小柄な女の子も一人で運んでいる。やらざるを得ないのだろうが、これが当たり前の姿と言えよう。

そして行動が自ずと小走りで活動する姿勢になっている。ダッシュをする男子生徒もおり、それはさすがにアクシデントに繋がりかねないので『小走りで』と注意した。

大きな指示語が響いていることも感心。いつも思うことだが、全体に伝えなくてもいいようなことすら『きいてくださーい』と叫び、静まったところで一部の人にしか関係ないようなことを指示する。言わば全体を止めてしまうのだ。これは悪しき習慣である。今日も何度かそういう場面はあったが減ったように思える。

兼任している仕事が多岐に渡るため並行して指示が行き交う。これも工夫の一つである。何かをしているときに他の指示すべき事を他で消化する。少ない人数ならではの知恵を得た感じだ。

伝統を守ると言うことはどれだけ大変であるか、それを肌で感じているに違いない。『良き伝統を守る』そんな責任感をしっかり身につけている上級生達である。

『伝統を守る必死さ』と同じかそれ以上のことがある。

それは今までないことを『始める力』であろう。

『始める』にはよほど強い思いと粘り、壁も立ちはだかり、それを超えなければならないわけだから、ただ単に強くぶつかっても理解は得られない。『知恵と人柄』も必要になってくる。先ずはそれを十分に理解する仲間の力と、大人の理解者、その理解者のエネルギーも同じく必要になってくる。

 

ずいぶん前置きが長くなったが、

私が赴任して15年間は定期演奏会どころか対外活動はコンクールしか認められず、視野の狭い教育環境にあった。

文化芸術なんて志学館には必要ないなんて風潮すらあった。

どの学年も定期演奏会を夢見てたわけだが、毎年『却下』され続けていた。意味もなく。

諦めずに波を立てずに筋だけを通して認められるように認められるように私も部員も心はひとつだった。

 

『今は当たり前ではない』これは当時を知るものがしっかりと伝えていかなければならないことだと思う。

 

突然のご来校者。

 

19期生サクソフォーン高橋 愛さん

今も昔も変わらずバイタリティーがあり思いの強い部員であった。

実は彼女は第一回の定期演奏会発起人という立ち位置である。

愛さんががいなければ今の定期演奏会はなかったといえる。

その定期演奏会では初ミュージカルに挑戦、『ライオンキング』の主役を演じ、歌を中心に舞台を作った。

懐かしい思い出と今の演奏会のベースになっているので原風景と言えよう。

シンバ役だっただろうか…

相手役のナラはご存じシンガーソングライターの松本佳奈さんだ。

二人に加えてチューバの松崎君等も歌を歌う表現力と物怖じのない堂々とした雰囲気は秀逸であった。

 

愛さんの突然の訪問は後輩達に勇気を与えてくれたに違いない。

その後の練習に力が入っていたように思える。当日はお仕事で来られないというだけではなく、いつもFacebookでの投稿を気にして下さっており、仕事の隙間を縫って訪ねてくれたと。

昔と変わらぬ行動力にはとても感服する。

 

卒業は必ず来る。卒業後2年間くらいは定期演奏会に関わってくれるが、その後はなかなかそんな時間はないわけで…

気にかけてくれているだけで本当に感謝ですが、後輩を激励になんて本当にありがたいことです。

 

益々の活躍をお祈りしています。