向上するには自らの成長あるのみ

先日、夏の地区吹奏楽祭に参加してきた。

思い切り演奏し当たって砕けろ見たいな根性音楽で、文字通りそんなにクオリティーの高いものではなかった。

コンクールの前哨戦のような位置づけでお二方の講評を頂ける。

専門家2人はその場の演奏を聴きながら講評を言葉で録音し指摘するシステムである。

紙ベースの審査用紙も表面的で読み取ることが不可欠ではあるが、タイムリーなジャッジも気になったことを演奏中にしゃべるので音楽はどんどん進んでいく。

すなわち批評は全てではない。

現在の演奏に応じた寸評と言える。

大切なことは自らの演奏を自ら解析することだ。

自らの実力を知ると言うことはどんなことにおいてもとても大切だと思う。

 

自分の性格はどんな性格だろうか?仲間と関わり支え支え合うことが得意な性格。

引っ込み思案でもっぱらリードしてもらうことを好む性格。

天真爛漫で集団を明るく元気にする性格。ネガティブで自分に自信がないタイプなどと千差万別であろう。

それでも自分の癖や性格をしっかり把握しておくことは大切で、では自分はどうすべきなのかを考え行動することこそが最も大切なのではなかろうか。

学習でも同様のことが言えよう。

どの教科でも自分の実力を把握する。どの部分が理解できていなくてどの部分は確実に解答が出来る。

理解できていない部分は何故理解できていないのか、学習不足なのか、基礎知識不足なのか、まだ理解不足なのか、気持ちがそこにあらずなのか、原因は様々でそれぞれであろう。

 

観察をする、解析をする力はとても頼もしい力となる。

 

コンクールは過酷である。野球の惜敗ともよく似ている。どんなに努力をしたとしても必ず負けるのだ。努力した分悔しく苦しく立ち直れない気分となる。所はばからず涙を流すこともある。

普通の演奏会はやり甲斐や満足度は会場の雰囲気による力が大きい。

好意を寄せてくれている身内が多ければ演奏内容もある程度割り引いて聴いて下さるかも知れない。

 

コンクールはそうは問屋は卸さない。そのプロセスは全く関係ないわけで演奏のみで平素の活動ぶりを推察できるのだ。基礎を重んじ自らと向き合っているチームなのか、そうではないことに重きがあるチームなのか、専門家は一瞬で聞き分けることが出来る。

音楽は人柄を感じさせることも出来よう、金賞を受賞しても心が全く動かない演奏もある。銅賞でも思いの詰まった感動的な演奏も中にはある。

その両方を兼ね備えた演奏は心も動き感動的である。心のある高校生が目標を高く持ちみんなで一つになり苦楽を共にすると共に人を尊重することを覚える。支え合うことを知る。ただ単に許容するのではなく、励まし合い叱咤激励をし仲間を引き上げる努力をすること、この場合、音楽で人を傷つけては決していけないと言うことだろう。

 

笑顔で努力することを学ばせたい。

 

昨日リーダー等が気づきを発表し合っていた。指摘のみに陥らず、どのように関わり、どのような練習が必要で、どれ位時間がかかるのかを割り出し、明日以降の練習に準備を整えてもらいたい。