受賞の色より素晴らしい価値

志学館は部活動という意味では大変難しい学校だと思います。

生徒一人一人の可能性を信じて引き出すという意味では学習の活動だけでは限界があります。

いかに学習環境を整えても学習は所詮孤独なもの。

その孤独ともともと向き合える元来強さを兼ね備えた子供なら全く問題がないわけですが、人ってそんなに強くない。

仲間が頑張っているから自分も頑張る。

人とかかわり大切なことに気づき自分も頑張れるかどうか模索し一歩を踏み出す。

 

音楽も同じことで音楽の技術練習だけしていてもそう向上するわけではない。

 

清掃活動を通じ感謝や奉仕の気持ち、気づきを学ぶ。

トレーニングを通じ健康や体力の向上を図りつつ未知なる自分と向き合う。運動の苦手な生徒が多くいる音楽部としてはみんなで大きな声を出して運動をするということは奇想天外な発想かもしれない。

 

楽器を吹くという意味で呼吸練習は欠かせない、腹式呼吸の習得は日々の繰り返しによるもので簡単に身につくものではない。

その呼吸をイメージし発声練習も欠かせない。

楽器とは別と思われがちだが声を出すということこそがポイントである。

よく吹奏楽の指導者はであれば歌っていれば楽器にリンクすると勘違いが起こるがそうではない。しっかりとソルフェージュを意識し正しく本気で発声練習に向き合うことである。

そして、ハーモニックスを感じそして学びに近づける。

そしてようやく楽器を吹くという所作に入る。実に気が遠い作業である。楽器が吹けるようになってきたからといっていい音楽、評価される音楽、心が動く音楽と直結しているわけでもない。

ここが悩ましい。

 

前段が長くなったが

 

昨日コンクールA部門に参加してきました。

今年の三年生は14名過去一番少ない学年で、トランペット、フルート、ホルンが不在で、クラリネットも一名と相当偏った編成でした。

スーパースター的存在がいるわけでもなく新生チームには期待と不安は常に入り混じっていました。

 

昨日のステージを終えた後、私はまったく後悔のない演奏に思え、これで評価されなくても三年生には『いい演奏だった。後悔はないね』という言葉を準備していた。

コンクールは他との比較表になるのでこれは仕方がないと割り切るしかないと思っていた。

 

頑張った分だけ銅賞は脱却させてやりたいという思いだけが私を苦しめていた。

 

結果は三年ぶりの金賞。

 

勿論金賞という色も素晴らしいのだが、なによりも44名全員での参加で一丸になっての活動を展開したことに代えがたい価値があるように思える。

 

金賞にはたまたまということはありません。

生徒がみんな頑張った結晶だと思います。特に三年生が自らの弱さを知り、音楽以上に部活動とは何なのかを真剣に考え、自らが成長するしかほかないと結論を出し、少なくて非力な三年生が部員が一つになることしかないとしっかり見つめた結果なのだと思います。

 

昨年、一昨年も価値のある色だと思っています。

 

色の違いです。

 

後悔しない活動ができるかどうかそこに視点を置いて細々とこれからも取り組んでいきたいと思います。

来年また一番下の色をもらうかもしれません。

そうならないような活動を展開させるのは音楽だけではなく人の成長こそが不可欠だと思っています。

 

13日の本選会に出場できるかどうかはまだわかりませんが、もう一度ステージに立たせてあげたいと思います。

部員たちにねぎらいの声をかけてあげてください。

 

心から感謝を込めて。皆さんありがとうございました。