ふるさと 紅葉に想う

特別老人ホームに慰問に赴くようになり、何年経つだろうか。

思い起こしてみると22期生が1年生の時だったように思う。

そうだとすると13年目を迎えることになろう。

 

その当時からプログラムには定番の『ふるさと』や『もみじ』を取り入れ、単に歌うだけではなくおじいちゃんやおばあちゃんたちと一緒に歌う時間、そして手を握り肩をさすり、時にはよだれや涙をぬぐうようなスキンシップの時間としてとらえている。

 

ことしも特養老人ホーム中郷記念館にお世話になり、慰問演奏に伺う機会に恵まれた。

 

事前にしっかりと慰問すると言うことはどういうことなのかをしっかりと考え、自分たちが出来ることは何なのかを見つめ、心をこめてこの日を迎える。

私はこの行事の前に必ず伝えることがある。

 

『幼稚園や小学校、中高、大学と卒業式があるよね。このお別れもとても寂しく悲しいものではあるけれど、その反面そこまでの成長を喜び、お支え頂いているご両親に改めて感謝し、巣立ちに対し期待と希望を抱けるお別れだよね。笑顔でお別れが出来るのが卒業式だよね。でもこれから伺うホームでは卒業という門出、巣立ちという意味合いのものはないんだよ。もしかして今年手を握ったおじいちゃんかおばあちゃんが来年、そこにいるとは限らないんだ。だから精一杯気持ちを届けないといけないよね。昔はおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでお父さんやお母さんから叱られたらおじいちゃんやおばあちゃんの所に行き慰めてもらったものだ。でも今の世の中、誰がどうしてこうなったのか分からないけど、核家族ばかりになっておじいちゃんやおばあちゃんとはなかなかお目にかかれなく年に一二度くらいだよね。もし離れているおじいちゃんやおばあちゃんがおられるならホームのおじいちゃんやおばあちゃんを自分のおじいちゃんやおばあちゃんだと思って接しなさい。もしかして既に亡くなられている場合も同じこと。毎年、思いもよらないことが起こる。泣きじゃくる方、手を離してくれない方、自分の子供と勘違いしてくる方、よだれや鼻水を流してしまう方、様々だ。全てを想定して、それでも汚いと思ってはいけないよ。人として通る道なんだから。今は若いというだけで輝いているんだ。でも必ず歳はとり続け同じように老いていくわけだ。今自分たちが出来ることをしっかりと届けてこような』的なことを伝えることにしています。

 

仲間をおじいちゃんやおばあちゃんにみたてて膝や背中をさすり優しい笑顔になれるように練習もしていきます。

今年も心温まる優しい雰囲気に包まれた時間を保護者と共に過ごすことが出来ました。

1つ違うことと言えば

私の父もいい歳で北海道帯広の施設にずっとお世話になってきたわけだが、この行事の直前に連絡を受けたが、病院に移動し終末期を迎えたと。そんな離れている父をずっと想いながらこの行事を続けてきた気がします。

 

兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)

如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷

志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷