流れ過ぎゆく時代

2学年の引率で沖縄へ修学旅行へ行ったのはもう一ヶ月になる。

この頃も色々と気が気ではなかったが。

待ってくれたのかも知れない…

 

 

修学旅行は色んな目的と責任を持って赴いたが、1つだけ個人的な思いもあった。

 

それは『平和の礎』への訪問でもある。前回32期生の時に初めて気づいたことがあった。

身近というのか遠縁というのかは分からないが同居していた祖父の弟が沖縄戦で戦死し、そこに名前が刻まれていると言うこと。

 

勿論、会ったことも何もないが、ものすごく久しぶりに会ったような錯覚が起こった。

 

『平和の礎』では今回も手を合わせてこようと決めていた。

 

何故気づいたかというと、子供の頃ふるさと北海道の浦幌町、東山、小高い山に神社がたたずむ小さな小さな平和塔という場所があり、そこにはいつも遊びに行っていた。

雪どけの頃はふきのとうが顔を出し、つくしやスズランなど、夏にはクワガタ採り、秋はどんぐりと散策をしていた。

誰からか、そこの塔に刻まれている女のような好美という名前が近い身内だと教えられ、友達と遊びに行ったときには何故か自慢していた。それで記憶していたのだ。

 

『平和の礎』に刻まれている名前は出身地別、北から順になっており、もしやと思って探したのが32期の修学旅行であったのだ。

北海道 十勝支庁にその鈴木好美という名前を発見した。間違いない。

 

昨年6月実の兄を亡くした。これはかなり堪えた。大黒柱を失ったようなもので、兄の偉大さ存在感を痛感したものである。

そのあたりから、先祖というか先代、先々代、また次代へと多いに興味が湧き沢山のことを調べていた。没年や戒名、院号までも。

何歳まで生きたのかも全員調べようと思った。

 

どうでもいいことを書き記してしまった。

  

今回、父を喪った。

歳で言うと兄は55歳で急逝し、父は88歳であるから大往生とも言える。

 

私が中三の時に音楽の道に進みたいと知った父は母には反対だといっていたらしいが、私にはその時、何も言わなかった。

母が私の気持ちを叶えたいと父を納得させてくれた。

本格的に音楽を学び東京に出るときだったかは定かではないが父は『飲み屋でラッパを吹くようにはなるな!』

『音楽家を志すなら親の死に目には会えないと思え!』とそれらしいことを言われた。

 

今回、多方面に迷惑をかけながらご理解を頂き長く職場を離れる覚悟をした。

急いで会いに行った。何とか私を待っていたのか二日後静かに呼吸が止んだ。

 

イオンモール木更津の演奏会が3日後に控えている。私を音楽家というのかどうかは分からないが、多くの人に喜びと平和を感じてもらえるように笑顔でいっぱい子供たちと会場を盛り上げたい。

それを親父が望んでいるように思える。

 

Xmasは平和の象徴、世界の人々と分かち合いたい。MERRYクリスマス。