原石のエネルギーいまも

■ 原石のエネルギーいまも             西川 圭介

 

<おまへのバスの三連音が/どんなぐあひに鳴ってゐたかを/おそらくおまへはわかってゐまい/その純朴さ希みに充ちたたのしさは/ほとんどおれを草葉のやうに顫(ふる)わせた>*

 

どんなに時が流れても、「思い出」には収まりきらない。

働き、家庭を築き、つらいことや楽しいこと、別離と出会い、そんな人生の階段を真ん中ぐらいまで上ったいまも、20年も前に感じた顫(ふる)えるような感じがよみがえることがある。

 

放課後、帰宅部や運動部が出払った校舎5階のワンフロアを私たちは練習で独り占めにする。

木管や金管、打楽器のパートごとに教室に分かれ、ぜいたくな時間が始まるのだ。

私が在籍したころの志学館吹奏楽部は型破りな集団だった。

 

ドラムでビートをはじき出すのに夢中な金管奏者。汽笛のようなロングトーンを黙々と続けうれしそうに余韻に浸るチューバ、才能にあふれ、うっとりと旋律をつむぐ木管の面々……。

袋に集めたビー玉のようにいろんな個性がひしめき、ぶつかり、不器用なくらい純朴で希望にあふれていた。

 

なんにもなかった新設校で先輩や先生方が手探りで切り出した「ブラバン」という原石はたっぷりのエネルギーを満たし、取っ組み合う何かを求め続けていた。

 

創立6年目、私たちは新任の鈴木先生を顧問に迎えた。

鈴木時代に就任した初の部長が私だ。若くてパリパリの顧問に対し、音感も怪しい私が部長なのだから、先生は大変だったろう。演奏の土台になる「B♭(フラット)」の音合わせが安定しない。文化祭の舞台練習で飛び出したとんちんかんな音に先生が怒り、「やる気あるのか」と楽譜を投げ出したこともある。部員たちも挑発的だったが、新しい顧問も負けていなかった。楽観主義と素直な生意気さはマイナスをプラスに転化する。エネルギーは倍化し、参加して終わりだったコンクールでたちまち関東大会出場まで果たすようになった。

 

いま、私や当時の仲間たちは30代から40代への回廊を歩いている。

挫折や嫉妬、そして生活までもが一緒くたになった世間という複雑系にまざり、自分が自分であり続けている主要な根拠には、あの時代がある。幸福だったのは、人格形成に決定的に重要なあの時期、純朴と希望、明るい生意気さのもたらす力に触れていた。自分を大きくみせたり、過小評価したりしない。私たちは、無くさない。音楽は若い仲間へとつながっている。

 

 創部25年。このごろ、なんだかソワソワしている。

大丈夫だ。いまや若い楽団員までもが聴衆や支えて下さった方々、そして先生への感謝と礼儀を身につけている。演奏会の準備は整った。歌い、奏でるのは、このホールにいる楽団員だけではない。ここにいない団員たちも、それぞれが持ち場とする世界で、私たちの顧問がタクトを振る瞬間を息をひそめて待ち構えている。

 

<もしも楽器がなかったら/いゝかおまへはおれの弟子なのだ/ちからのかぎり/そらいっぱいの/光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ>

 

さあ、演奏を始めよう――。このぜいたくな喜びを、いま分かち合うために。聴衆と仲間たちの未来の幸福のために。

 

 ■にしかわけいすけ 5期 Hr.朝日新聞東京本社編集局社会グループ記者 *宮沢賢治「春と修羅」第二集より