体育館練習を経験し学んだこと

広い会場で練習が出来ると言うことは、貴重な経験でそこでしか出来ないことを行う。

普段は小さく、決して恵まれているとは言えない練習場所で、それでも出来ることを工夫しながらコツコツ努力することを学ぶ。

 

沢山の行事に恵まれ、それに向けて努力するが、時には時間に追われているような気になり、大切なことを忘れがちになる。

 

表面だけつくろい(合奏中心)、基礎や連携、自ら予習(練習)し更に向上すると言う気持ちが欠落する。

 

焦り、高校生が成長する上で必要な要素は沢山ある訳だが、つい音楽だけになって心が成長しないことすら多々ある。

 

コンクールや演奏会前には当然、音楽に集中する要素をより高めなくてはならない訳だが、他がどうでもいいと言うことでは無いと言うことを勇気を持って指導者が選択できるかどうかで子供の価値観が変わってくるのだろう。

 

私は短く限られた本校の部活動、練習する体制の中で長くかけて多くの失敗を繰り返してきた。

卒業した生徒達から多くのことを学ばせていただいたと実感する訳だが、現在の練習は卒業部員たちが蓄積した要素をより改良したものなのである。

奉仕作業から始まり、清掃の反省会、柔軟や腹式を意識する深呼吸(呼吸法とよんでいるが)ウェイトトレーニング、チーム力を向上させるため応援練習、笑う練習もある。発声練習を経て合唱活動や時にはコールユーブンゲンに発展することもある。

 

これだけのことを消化するに2時間を超える。普通の吹奏楽の指導者ならこの時間はもったいなく思えるのだろう。その分楽器の技術向上の時間を費やすことの方が現実的である。

それでも何年も続けて今がある。

 

清掃活動にも『やらされている感』を感じさせない。まるで誇りを持っているようである。秋の落ち葉が多いときには率先して早朝練習時間を割き、竹箒を握る。台風の後に硬式野球部と一緒に作業をしていた姿は志学館を象徴しているようであった。

 

雪が降ったときには硬式野球部の存在感は群を抜いている。

 

体育館をお借りして3年生の送別会や定期演奏会の練習をさせていただけることになった。

子育てをするときに、子供が小さいときにお母さんがよく使う言葉を思い出すが、『よそはよそ、うちはうち』

その通りである。その子にとって一番大切と思えることを信じて子育てをするのだ。

 

貴重な体育館練習であったが余りにも体育館の袖の汚れや、道具の管理が煩雑で、まるで体育館の袖が自分たちの部室のような扱いになっていることに驚愕を覚えた。

 

そこに気づき生徒は時間を割き、日常として清掃活動を始めたのだ。

 

年に何回かしっかり清掃することがいいのか、日常が大切なのか。私は奢るべからず、人知れず奉仕する生徒を誇らしく思った。

練習時間は短くなったが…