夏の終わり

昨日、甲子園球場での大阪桐蔭高校と秋田金足農業高校の決勝戦で今年の夏もようやく終わったという感じがしている。

秋田の選手たちは今日秋田に戻り、明日2日間延期になっていた始業式を迎えることになるのであろう。

お疲れ様と心から声をかけてあげたい。

 

さて、2ヶ月も離れていたこのブログ。毎年は3年生の活躍ぶりを逐次投稿し3年生に対し激励の声を沢山頂戴していました。

今年は、素晴らしい取り組みを心がけていた3年生に集中したくて投稿を見合わせていました。

 

1つ1つの取り組みに輝きがあり、子供たちが成長する様が指導者にも保護者にもよく分かりました。

 

夏の終わりに少し感傷的になってしまうが、この2ヶ月を時系列で振り返えってみようと思います。

 

期末テストが終わり、吹部と野球部、そしてチアが一致団結し応援団を結成する。思いがけなく早い6月下旬の梅雨明けには閉口しましたが、体育館の蒸し風呂のような中で結団式と第一回目の応援練習をおこないました。

そして東千葉大会の開幕とコンクール練習の両立は大変学び多きものとなったことでしょう。

志学館高等部硬式野球部の存在は言わずと知れた本校を代表するチームで本校の誇りであると在校生も教職員も感じています。

それこそ私学でありなあがら千葉県で唯一特別奨学生制度を使わず、自らの意思で入学を決めてくる帰属意識の強い集団である。

また、練習においても毎日の7時間授業や講習をもこなし何も特別扱いはない。千葉私学の金足農業と言える。

そんなチームが快進撃でベスト4まで勝ち上がり応援にも熱が入った。

天候は常に快晴という言葉ではなく猛暑<酷暑<極暑の中で行われ携帯の防災速報には毎日熱中症警報《原則屋外での運動禁止》とアプリが知らせていた。

十分気をつけていたとは言え体調を崩す生徒も後を絶たず、準決勝では惜敗の後、救急搬送をも余儀なくされた。みんなで助け合いケアし合い、氷でアイシングをする姿勢があった。3年生の献身的な姿勢が目に焼き付いている。

 

役職を引き継ぐミーティングをしっかりと行った。

2、3年生主導のスタッフではなく1、2年生主体の役職を受け渡す、言わば襷を渡す神聖な会と言える。当部活は昔から3年生が練習と受験勉強と時間がない中で、何度も議論を重ね慎重審議、秘密裏に全ての役職を考える。数ヶ月間後輩達の素質を観察し見いだし、引き出す努力を惜しまない。そして長い時間をかけて渡す襷である。

昔も今も変わらない雰囲気がここに続いている。

 

地区の吹奏楽祭も行われコンクールの前哨戦とも言える舞台に立った。作品は全く仕上がりを見せるどころか前当日にようやく初めて作品2曲を通すという、これも毎年のことである。審査員から簡単なジャッジを頂くが新鮮なジャッジと言うよりは当たり前に当たり前のことを指摘されてしまう。

 

いよいよ本格的にコンクールへ集中しと言いたいところではあるがサマーセミナー(夏季講習)が始まり実質練習開始は13:30以降となる。

夏季休業中の学校管理が今年度より強化され、なんと学校を17:00には締めてしまうと言うのだ。ALSOXが入りセキュリティーをかけるという昨年までにはない対応を迫られた。

 

追い打ちをかけるように異常気象、台風12号13号と立て続けに関東を直撃するという情報から保護者のご厚意で借用して頂いたホール練習日(保護者見学会)の開催も危ぶまれた。学校は全ての活動を禁止し不要不急の外出をしないという命令がでた。楽器の運搬や費用の事情を相談しようやく早い時間帯に運搬作業を認められ保護者の同意のある生徒のみ短い時間帯でリハーサルを承認してもらった。

このあたりで指導者は少し疲れというか気持ち的に折れそうにもなったがやっぱり3年生の頑張っている顔を見ると、そしてそれを支えて下さっている保護者の顔を思い浮かべると兎にも角にもその期待に応えなくてはと、気持ちを震わせることが出来た。

 

コンクール当日、この日もまた雨。運搬作業に時間を要し、終演後もミーティングで集まる場所が確保できずお集まりいただいた保護者やOBOG等にご報告や御挨拶も出来ずにバスに乗り会場を後にしてしまった。

結果も悔しく自らの力不足を痛感し3年生とその保護者のみなさんの期待にお応えできなかったことは大変申し訳なく、3月の定期演奏会でしっかりと良い演奏会を作る。『志学館の吹部で良かった』と思っていただけるようにお返ししていく。

そんな努力を欠かさないように、誓うしかなかった。

 

さらに3年生の引退式も雨、台風の接近14号学校閉鎖が余儀なくされ延期となった。

3年生引退式は26日(日)に本校音楽室で改めて開催したいと計画しています。

お世話になった3年生に労いと感謝のお声をかけて頂ければ幸いです。

 

駆け抜けた夏が終わろうとしている。

 

追伸

そして北海道で私は父の納骨を親族と滞りなく行って来られたことでふるさとを感じ、そして一先ず安堵している。